アルゼンチンとマルビナス諸島
買い物帰りに広場を歩いていたところ、アルゼンチン軍の屋台(?)に遭遇しました。物好きなのでフラフラと近寄っていく私。
軍人さんが「どこの国から来たの?」と話しかけてくれたので、片言でお喋りできました。その人曰く、この屋台はアルゼンチン軍の活動を一般の人々に啓蒙・広報するためのショップだそうです。
機関銃の弾やミサイル模型、ピンバッジなどが売られています。
話しているうちに「これあげるよ」と私の上着にピンバッジを付けてくれました。
余談ですが、アルゼンチンで日本の若い女性はよく子供に間違われるので、何かと親切にしてもらえます。27にしてキッズ扱い、うれしいような悲しいような…。
さてこのピンバッジ、ある島の形をモチーフにしているのですが分かりますか?
といっても、アルゼンチンでこの島のことを「フォークランド」と言うと白い目で見られます。国内では通称「マルビナス諸島」。
場所は南米大陸南端の東沖。
地理的にはどうみてもアルゼンチンの近くですが、植民地時代に色々なヨーロッパ人がこの地に進出した結果、1833年以降ずっとイギリスの支配下におかれています。
南極近くで、こんな寒くて辺鄙な土地何に使うんだという感じですが、戦時中は基地として重要な拠点で、近年は海底油田なんかも発見されているようです。
アルゼンチンは一貫してマルビナス諸島はアルゼンチンの領土だと主張し続けてきました。そして今から35年前、
1982年4月には、内政に行き詰まったアルゼンチンの軍事政権がフォークランド諸島を占領、これに端を発してイギリスとアルゼンチンが同島で大規模な武力紛争を展開した(フォークランド紛争/マルビーナス戦争)。
近代戦争が勃発します。
お時間ある方は是非以下のウィキペディアの記事を見ていただきたいのですが、このページ…すごいです。使われた兵器とか一日一日の戦局とか情報量が凄くて、ものすごい力作です。
というわけで詳細はすっ飛ばしますが、わずか2ヶ月でアルゼンチンはコテンパンにやられて敗北します。
その後1990年に両国は国交を回復しますが、現在もお互いに領有権を主張しあって議論は平行線のままです。
個人的に驚いたのはこのくだりです。
イギリスの実効支配が続く同諸島の帰属をめぐって、2013年に住民投票が行われたが、投票者の99.8%がイギリスの帰属を望んだ。
歴史的にはイギリス人が植民地として侵略した土地なので、住民はアルゼンチン派なのかと勝手に思っていましたが、ほとんどの人がイギリス国民でいたいんですね。
というのも、150年以上イギリスが支配していたので住民はイギリス系の人がほとんどだそうです。公用語は英語(アルゼンチンはスペイン語)、車は左側通行(アルゼンチンは右側通行)、要は実質イギリス社会になってしまってると。
「マルビナスはアルゼンチンの領土だ!」という主張はウシュアイア(マルビナス諸島近くのアルゼンチンの都市です)に旅行したときも沢山目にしたのですが、住民が全然入りたくないと聞いちゃうと何だか複雑な気分です。
アルゼンチンは何度も債務不履行(デフォルト)して経済的にイケてないし、英国人の血が流れているというプライドがあるんですかね〜。
領土問題って難しいんだなぁ(そして私は南米の歴史のこと全然知らないなぁ)と思いながら、もらったバッジを眺めてます。軍人さんとお喋りした後、記念にこんなお皿も買いました。こういうの日本では手に入らないだろうから地味に満足。
というわけでマルビナス(フォークランド)諸島について書いてきましたが、補足しておくと、最初に貼った写真の垂れ幕にはスペイン語で南極における領有権の主張(と軍事活動)が書かれています。
マルビナス諸島だけではなく、アルゼンチンは南極の一部についても自国の領土だと主張しています。ていうか、こうみると色んな国が領土を主張しているんですね~。(私が知らないだけ?)ご興味ある方は日曜の暇つぶしに是非。
今日はこんなところです!皆様よい休日を。